■論文

『成熟した人格形成とプレイバックシアターの関係性について』

 スクール・オブ・プレイバックシアター リーダーショップ三期生 長谷川里美

【はじめに】

 

私にとってプレイバックシアターとの出 会いは、とても衝 撃的 な出 来事 だった。その時のことを、数年後に下記のようなエッセイにまとめ、公開している。 『私の父は、アルコールに依存 していた。物心 ついた頃から酒 を飲むと人が変わってしまう父 親が恐かった。次 第 に豹 変 していく父 親の姿 を見 て、泣 き声 をかみ殺 しながら 恐 怖 に震 えていたのをよく覚えている。 「どうしてこんな家 に生 まれてきちゃったんだろ う・・・」いつもそんなことを考えている子供だった。

大人になっても、幼少期に植えつけられてしまった「恐怖心 」をぬぐいさることはできな かった。さすがに年齢 とともに酒の量は減ってきたが、父 親がお酒 を飲み出すとその場 に一緒にいることができず、私はさっさと逃げ出 した。いくつになっても、恐いのだ・・・。 そんな時 、プレイバックシアターに出会 った。それもその「場 」に偶然流れていたテーマ は、「家族 」。ある人の幸せな家族のストーリーを観て、対極である自分の境遇 を語りた くなった。そして、思いがけず子供の頃日常的に見ていた恐怖シーンを再現 してもらうこ とに。テラー席に座 った私は、ずっと乗 り越えることができず一生登 ることすらできないで あろうと思 っていた「険 しい崖」を一瞬にしていとも簡単に飛び越えちゃった・・・そんな不 思 議 な感 覚 を味 わった。そして「トランスフォーメーション」で、ささやかな私 の夢 だった 「和やかな家族の団欒 」を観た。その日学校であった出来事 を家族 4人で語 り合いなが らみんなで微笑んでいるシーン・・・を再現 してもらったその瞬間だった。

とめどなく頬をつ たった涙 とともに、何かが洗い流 されたような気がした。そして、その体験が私の人生の 大きな転機 と

なった。

 

自分自 身が「親 」となり、子供 を育 てるという苦労や大変さも実 感 できるようになった。 それから何年かたって父 が定年 を迎 えた日 、「私 はお父 さんがこれまで一 生 懸 命 に働 いてくれたおかげで、大学 まで通わせてもらってここまでくることができました。長 い間 お 疲れ様でした。ありがとう」と初めて心の底から父に感謝の気持 ちを伝 えることができた。 そして、この瞬間父のことを本当の意味で許せたような気がする。 もしプレイバックシアターに出会 ってなかったとしたら、今 だ「救 われない自分 」がいたか もしれない。私 が偶然にも手に入 れたこんな感 覚 を、多 かれ少 なかれ「必要としている人 」に1人でも多 く味わっていただけたら・・・と、これが私の活動 を支えている源なのだ。 これからも心に響くアクティングをめざして、「引 き出 し 」作 りとスキルの向 上 に励 んでい きたい。』と。(一部抜粋)

 

縁 あって、カンパニーに5年間所属 し、プレイバックシアターの活動 を続 けた。当初の 3 2年間は、プレイバックシアターに関わる体験のすべてが新鮮で、楽 しく、充実感に満 ち たものだった。そして、ちょうどグループプロセスに行 き詰 りを感 じ始めていた時期 だった。 世界大会の最終日 、ジョナサンの基調講演の中で語 られた『成熟 した大人 としてのプレ イバックシアター』というキーワードが、私の心の奥底 へ一瞬にして突 き刺 さった。それは 私 にとって、その時ぶちあたっている厚 い壁 を打 ち破 るために必要 不 可 欠 なことだった からだ。そして、今後 私自身が長 い時間 をかけてめざしていく大 きな目標は「これだ!」 と直感 したのだ。その日から、常にこの大 きなテーマについて自問自答 しつつ、プレイバ ックシアターの勉強や活動を続けている。 卒業論文のテーマを考えた時に、迷わずこのテーマを選んだ。まずは「人が“成熟 ”す るとは一体 どういうことなのか?」ということから考えてみたい。そして、人が成長 していく ためのひとつの手段 として、プレイバックシアターが提供できうる可能性 とその有効性 に ついて検討 してみた。それが、“私 らしく”プレイバックシアターの活動 を長 く続けていくた めの指針につながると考 え、この大 テーマにあえて挑戦 したいと思 った。未来の自分へ 愛を込めて・・・Good Luck!と。

【第一章】人が成長するとは?

 

人は、誰でも多かれ少なかれ人間的な成長をしたいと考えていると思う。子供たちは早く大人になりたいと思っているだろうし、大人は家庭でも職場でも、各人の役割と責任を果たすことによって、自己の確立をめざしているという。周囲の人々とのかかわりや変動する社会との関係の中で、順境と逆境を経験しながら、一人ひとりが固有の人生を生きることを余儀なくされているはずだ。では、人間が成長するということは一体どういうことを指すのか?先人たちが提唱してきた「人間の成長に関する理論」に焦点をあててみた。同時に、プレイバックシアターが果たす役割とその有効性についても考えてみたい。

 

■「欲求5段階説」 人間の成長を考える上で、まず注目すべきは、アメリカの心理学者マズロー〔Maslow,A.H. 1908~1970〕が提唱した『動機づけの理論』だろう。マズローは「人間は生まれながらにして、より成長しよう、自分の持てるものを最高に発揮しようという動機づけを持つ存在である」という考え方に立って、人間の研究をした人物である。その中でも「欲求5段階説」は有名だ。 1.生理的欲求…飢え・渇き・性欲を満たしたい 2.安全の欲求…保護されたい・雨風をしのぎたい 3.所属と愛の欲求…愛や友情を分かち合いたい・集団に所属したい 4.承認の欲求…人から尊敬されたい・自尊心を持ちたい 5.自己実現の欲求…可能性の実現・使命の達成をしたい (カウンセリング辞典より) マズローは、「それぞれの人が持つ能力や人間性を最高に発揮して生きるようにすることが、人間の望みであり、人間の方向性なのだ」と述べている。個人が自己の内に潜在している可能性を最大限に開発し、それを実現して生きることが「自己実現」であるという。ただ、人間の存在が本来そのようなものであったとしても、実際の生活の場面ではなかなか「自己実現」を果たせないのが現実である。 例えば人間が飲食の危機にさらされると、いかにして飢えや渇きを満たすか・・・、そのことしか考えられなくなるだろう。また、戦争や災害などに遭遇したとしたら、人間はいかにして安全を確保し、身を守るかにほとんどのエネルギーを費やすことだろう。このように食べるものがなくても身の安全が脅かされても、一瞬にして人間の「自己実現の欲求」は忘れ去られてしまうということである。 「5段階の欲求」には、明確な行動支配の順序が存在するという。第一の「生理的欲求」と「安全の欲求」がある程度満たされると、次に「所属と愛の欲求」が出てくるという。マズローは、「人間には愛の欲求があり、愛し愛されたいという気持ちが満たされることが大切だ」と主張している。人間がこの世に存在することを慈しむ気持ちや人と人とのかかわりが重要なのだと。そして、愛し愛される人間関係が成立すると、次に、自分が他者からどのように評価されているのか、誰かに認められたいという「承認の欲求」が芽生えてくるという。他の人から尊敬され、自分の成し遂げたことを認めてもらいたいという気持ちを強く意識するようになるのだ。と同時に、自分も自分自身を受け入れ、自尊心を持って生きていきたいとも考える。この3と4の欲求を満たすには、親の愛や家族のかかわりなども大変重要テーマになってくるという。 こうして4つの基本的な欲求がある程度満たされると、最後に「自己実現の欲求」がでてくるという。マズローは、「最初の4つの欲求は、人間の欠乏に根ざした動機であり、満たされる必要があるのだ」と。そして、人間は欠乏動機によってのみ生きるのではなく、それがある程度満たされることにより、真の成長動機である「自己実現の欲求」が浮上してくるというのである。それは、「自分に与えられたものを十二分に生かして生きようとする欲求」を指し、人と比較したり、自分の欠点を苦にしたりするのではなく、主体性を持ち、自分のありのままの姿を理解し、受け入れ、それをよしとして、その生き方を貫こうとすることだという。

 

■互いの存在意義を認め合う 私たちはプレイバックシアターを通じて、個人によって多少の感じ方の違いはあるが「所属と愛の欲求」や「承認の欲求」を満たしたことを体感できる機会を得ることが可能だ。各人の「ストーリー」をその場にいる全員で共に分かち合う・・・そこは、単に安全な場というだけではなく、基本的に暖かく、慈愛に満ちた居心地のよい空間の中で行われる。そして共感的な雰囲気の中で、常に親しみと敬いの気持ちを持って、テラーの話しに耳を傾ける。その基本的な姿勢は、その場にいる誰もの心を暖かい「愛」で包み込み、互いの存在意義を認め合うことにつながる。また、テラーは自分自身の人生のひとコマが演じられ、その時の気持ちを最大限にくみ取った奥深いストーリーが展開されているのをステージ上のテラー席で目にする時、誰もが多かれ少なかれ「承認されている」という感覚になる。その場にいるすべての人々が同じ視点に立って、目の前で繰り広げられる再現ドラマを通じてテラーと同じような体験していくことは、ついさっきまで「遠い存在」だったはずの人々との一体感をも共有できるという。そのような体験からテラーは自然な形で愛情充足感や安心感を培い、自尊感情を育んでいくのだと思う。プレイバックシアターの一連のプロセスを踏んでいく中で、結果的に「所属と愛の欲求」と「承認の欲求」が満たされていくことを実感できるのだ。

 

■自己実現のために 人間の本来の姿を自己実現に求めるのか、欠乏動機を満たすことに求めるかというスタンスは、各人の人生設計において重要な分岐点のひとつになるそうだ。「自己実現の欲求」まで満たそうという人は、自分はどんな考え方や価値観を持ち、人間にどう対処しようとしているのかということまで検討されなければならないという。そのためには、まず自分にはどんなパーソナリティの傾向があり、どんな能力を持ち、どんなことをしたいと思っているのかということなどを明確にすることが大切になる。 そんな自己理解のための手法のひとつとして、プレイバックシアターは有効であると思う。自身に起こった過去の出来事を「ストーリー」として客観的に観ることで、「自己洞察」への扉を開き、自分自身では気づかない考えや感情までもはっきりと理解することが可能になる。そして、テラー体験を何度か繰り返していくことで、自然とありのままの自分自身を受け入れることができるのだ。そういった自己理解の作業なしには、自分を発揮することもできないし、他者にかかわることも不十分となってしまうだろう。心豊かに実りある人生を送るために、私たちはまず「自己理解」という作業で土壌を耕し、「自己実現」のための種を巻き、それを大きく育てていく・・・。いつか大輪の花を咲かせるために必要不可欠な要素のひとつであり、皆を暖かく包み込む陽光となりうるものがプレイバックシアターだと思う。

 

■EQ:「こころの知能指数」 人間の成長を考える上で、近年注目されている「こころの知能指数」EQ :Emotional intelligence Quotientという概念についても考えてみたい。D.ゴールマンによって提唱された「こころの知能指数」EQとは、一般的な知能テストで測定されるIQとは質の異なる頭の良さを指し、「自分の感情を適切にコントロールし、自分の持っている能力を最大限に発揮するための社会的知性」のことである。この心の知能指数は、人生を聡明に生きていく上で非常に重要な要素であるという。具体的には以下の5つの能力をさす。 (1)自分の本当の気持ちを自覚し尊重して、心から納得できる決断を下す能力。 (2)情動を自制し、不安や怒りのようなストレスのもとになる感情を制御する能力。 (3)目標の追求に挫折した時でも楽観を捨てず、自分自身を励ます能力。 (4)他人の気持ちを感じとる共感能力。 (5)集団の中で調和を保ち、協力しあう社会的能力。 (EQ:心の知能指数より)

 

■自分を知る (1)の能力を高めるために必要なことは、「自分自身を知る」ということが第一条件に挙げられるという。特に自分が今何をどのように感じているのか・・・という自分の中にある感情を常にモニタリングすることができれば、より自分らしく生きやすくなるはずである。しかし現実社会では、人間関係などさまざまな理由から自分の感情を押し殺して、本心とは逆の行動をとってしまうという状況にも陥りがちだ。さらに内面が混乱して、自分自身の本当の気持ちに蓋をしてしまったり、何が本当の気持ちなのか全く気がつかなかったりする場合も。そんな時、個人の主観を扱うプレイバックシアターは、具体的なシーンを再現することで客観的に自分自身の心の動きを振り返ることができると思う。

 

■感情のコントロール 多かれ少なかれ私たちは、朝起きてから夜眠りにつくまで感情を適切な状態に保つために感情のコントロールをしているという。自分の気持ちを静めるという能力は、日常生活の基本になると述べられている。特に怒りや不安、悲しみや憎しみ、そして孤独感など不快な感情が極端に強かったり、長時間持続するような状態は、精神の安定をも脅かすことになりかねないとの指摘もある。そこで、プレイバックシアターの「自らの経験を語り、それが表現され集団の中で分かち合われる」という枠組みの中で「ありのままの自分を受け止めてもらえる」という体験が、浄化的効果(カタルシス)を得て心を落ち着かすことを可能にさせると思う。折にふれてそういった経験を積み重ねていくうちに、自己制御の能力を高めていくことができるのではないかと考える。

 

■自分自身を動機づける (3)の「自分を動機づける」というセルフ・コントロールは、ある事柄に集中したり何かを習得したり創造したりする時、また目標を達成するためには不可欠な能力であるという。中でも、ものごとを楽観的にみるか悲観的にみるかは生まれつきの気質よる部分が大きいのかもしれない。が、気質は経験によってある程度は変えられると考えられている。楽観も希望も、そして無力感や絶望感も学習可能な領域であるという。人は何であれ得意な分野ができるとその人の自己効力感が強まり、より大きな目標をめざして冒険したり挑戦したりする意欲が沸いてくる。心理学でいう「自己効力感:self efficacy」は、「自己に対する有能感・信頼感」のことを指し、「自分が、ある具体的な状況において、適切な行動を成功裡に遂行できるという予測および確信」のことである。また自分自身の力だけで難局を乗り切るという経験をすると、それがより自己効力感を高めてくれる。自分の才能を伸ばそうとする努力ができるようになるのだと。 プレイバックシアターでもそういった部分でのアプローチは可能である。プレイバックシアターのプロセスには、「自発性」という重要な要素が常に根底に流れていると学んだ。誰に強要をされることなく、気持ちのおもむくままに自らの意思でテラー席につき、個人的な体験を語る。または、アクターとしてテラーのために数々の「ストーリー」を演じながら、自己表現力を高め、自分の限界を取り払っていく作業をする。そういった成功体験を重ねていくうちに結果として、「自己効力感」を自然な形で伸ばしていくことが可能であると思う。

 

■共感する (4)の他者がどう感じているのかを察する共感能力は、人生のありとあらゆる場面で必要な能力であるという。また、互いに心を開き、理解し信頼しあえる関係(Rapport)の形成にも不可欠である。そして、人間の感情は、言葉よりも言葉以外のしぐさで表現されることが多い。他人の気持ちを感じとるためには、声のトーンや身振り、顔の表情、全身から醸し出される雰囲気など言語以外の伝達手段を読みとる能力も必要であるという。 プレイバックシアターでは、どのような「ストーリー」を語っても、集団の中で受けとめてもらい、再現ドラマを観て心動かされた観客からの共感や賞賛をもらうという体験ができるという。実際にそういった観客の様子を目の当たりにして、「他者から理解され、共感されている」自分を感じ、その喜びを実感することとなる。また、テラーとしての関わりだけでなく、その場に参加しているすべての人々が、自然と他人の痛みを自分の痛みとして共に感じるという体験をしていく。そういった経験を多く積むことで、他者の心の波長を読み取るアンテナを磨き、それを高く保つことができるのだと考える。 プレイバックシアターをアクターとして実践していく場合にも、テラーが何を感じ、どう考えているのかを自分の主観的な憶測にとらわれないで、正確に知ろうとする能力が必要となると思う。短時間のインタビューの中でテラーが語った少ない情報だけを頼りに即興で演じることを常に求められているからだ。テラーが本当に観たいシーンは何なのか?そして、その「ストーリー」を語っている意味とは?など、一瞬で深い洞察を加味した上に、忠実にそのシーンを再現していくという作業はかなり難しいことだと感じている人が多い。アクターは、自分の価値観やフィルターを取り払い、ニュートラルな状態でステージに立つことが基本姿勢だと学んだ。その中で、テラーの心の声までも聴こうと努力しつつ、言語以外のボディランゲージからも何かを感じ取っていく。そして「ストーリー」に敬意を払いつつ、ベストを尽くして演じるのだ。こういった「生の感覚」を繰り返しつつ、場数を踏んでいくことで、共感能力もパワーアップさせていけるのだと思う。

 

■社会的能力の向上 情動の自己管理と共感の基礎の上に、他人とうまくやっていくために必要な社会的能力「対人能力」は成熟していくという。これには以下のような5つの効能が提示されている。 ①良好な人間関係を築く②人の心を動かす③親しい人々との関係を豊かにする④他人に影響を及ぼす⑤周囲の人をくつろがせたりする。 人間対人間の駆け引きを適切な場面で、いかに効果的に使えるのかは大切な要素になる。このような社会的能力の向上についても、プレイバックシアターは有効であると思う。プレイバックシアターについて、ジョナサン・フォックスは『コミュニティの中で人と人とのつながりを育む場』と述べている。ワークショップ形式であろうとパフォーマンスであろうと、そこで起こるすべてのプロセスから私たちは社会的能力をアップさせるための方法を学ぶことができると思う。具体的には、即興で瞬時にさまざまなロールを表現することを繰り返し体験したり、多くの人々の人生のひとコマに触れ、深くフォーカスしていくことで、各人の内面にさまざまな「気づき」がもたらされると考えるからだ。プレイバックシアターを通じて社会的能力の向上をめざしていくことは、自然な形で豊かな人間関係を育んでいくことにもつながると思う。

 

■EQを高めるために 一般的に、EQが高いと、対人関係能力や自己実現能力も高く、周囲の人から援助や支援を得られやすいという。つまり、EQが高ければ本来備わっている能力や蓄積してきたノウハウが充分に発揮できる人的環境を自分で作り出すことが可能となるのである。EQを磨き、高めるという意味においても、プレイバックシアターは実用的であると思う。 プレイバックシアターで語られる「ストーリー」には、喜怒哀楽を始めとして、必ずといっていいほど何らかの人の感情の動きが内在している。特に自分の感情をコントロールできないほど衝撃的な場面に遭遇した人の「ストーリー」や、度重なる不幸に直面して内面が混乱したままその状況から容易に抜け出すことができないでいるシーンなど、テラーの心の奥まで深く聴けば聴くほど、多種多様な難しいテーマを扱うことになる。長くプレイバックシアターに取り組んでいる人々は、そのトレーニングや経験を重ねていくうちに、自分の気分をうまく整え、感情の乱れに思考力を阻害されない能力を自然と高めていくことができると思う。そして、他人の気持ちを推察し共感できる能力を身につけていくのだ。心内知性(セルフコンセプト)、対人関係知性(ソーシャルスキル)、状況判断知性(モニタリング能力)という3つの要素をバランスよく育んでいける手法として、その取り組みは大きな価値があると思う。

【第二章】「人間的なコミュニケーション」とプレイバックシアター

 

「人間的なコミュニケーション」を重ねることによって、人は自分を高められ、成長させられるという。「人間的なコミュニケーション」とは、単に意見を交換することや情報を誰かに伝えるということではなく、真に他者を理解しようと努め、内面まで深く触れるようなコミュニケーションをすることと定義付けされている。また、他者に対して援助的な存在となることで、他者とのかかわりのプロセスが自分自身の成長をも促進させてくれるという。人が互いに信頼し合い、愛し合うことによって、人間的に高め合うプロセスこそが「生きる」ということなのかもしれない。このような心と心が触れ合うようなコミュニケーションを可能にするためには、「自己表現」と「傾聴」という基本姿勢が重要な条件としてあげられるという。ここでは、「人間的なコミュニケーション」という視点から、プレイバックシアターについて考えてみたい。

 

■「自己表現」とは? 私たちは日常生活の中で、心の中では様々な感情が流れているにもかかわらず、自分が思っていることや言いたいことを相手にうまく伝えることができずにもどかしい思いをするという場面に多く出くわす。特に他人が期待するままに動くというような状況が長期間続くと、自分を抑えられなくなり、突然爆発してしまうこともあれば、自分ひとりで長きに渡って苦しみ続けるということもある。また、自分の本当の望みや考えを表現するのではなく、相手を感情的に非難したり、批判したりして誰かを傷つけてしまうこともある。他者とのスムーズな相互理解を促進するためには、何だかの「自己表現」は必要不可欠であると思う。 「自己表現」とは、自分の思っていることや感じていることを相手にわかりやすく、適当な方法と場所で積極的に伝えることと定義されている。その目的は、本当の自分を相手によりよく理解してもらうということであるという。自分が言いたいことや感じるままを何でも口に出して言うことや相手に自分の考えを押し付けたりすること、時には相手に対して命令したりするような「自己主張」と、「自己表現」とは明らかに違いがある。他者との信頼関係を確立するためには、この「自己表現」が重要な要素になるという。 リチュアルに守られたプレイバックシアターの場を通じて、「ストーリー」として語ることは、「自己表現」のひとつの方法として活用される場面も多いと思う。さまざまな想いや複雑に絡み合った感情などを客観的に表現してもらい、当事者の五感に訴える形でそれを伝えるということは、単なる「自己主張」として捕らえられてしまうリスクをうまく回避し、結果として好作用に働く可能性が高いと思う。

 

■「ストーリー」を語ることの意義 プレイバックシアターで過去に起こった出来事を語るということは、単なる日常会話の中で話すのとは違い、より深く掘り下げた「自己表現」の一種と言えるだろう。たとえどんなにささいな日常のひとコマを語ったとしても、「ストーリー」として語られるとプレイバックシアターの様式と芸術的感覚によって、そのシーンの美しさと深い意味を引き出すことを可能にするからである。また、どんな「ストーリー」が語られたとしても、より尊いものとして大切に扱うことができる。そして、その場に集った人々が共通して持っている心模様を、ひとつの統合された「ストーリー」になるようにひとつひとつの「ストーリー」を結びつけ、皆で「ストーリーの綾」を織り上げていく。「ストーリー」を分かち合いながら、互いのつながりまでも感じることができるのだ。非日常的な「自己表現」の方法ではあるが、テラーは、その時その場で沸き起こった何らかの「想い」を「ストーリー」として語ることで、心の落ち着きや喜びまでも得られるという。と同時に、未来への希望や勇気が自然と沸いてきたりもする。さらにプレイバックシアターには、人と人のつながりを生み出す強い力があり、強い信頼関係を育くむことも可能にすると思う。 人は人生の意味を探し求めているからこそ、自分の「ストーリー」を語る必要があるという。「ストーリー」を語ることで、自分のアイデンティティーやこの世の中での自分の居場所、そしてこの世の中そのものの枠組みを確認することができると言われている。それぞれの心模様を他者と分かち合うための「自己表現」の場としても、誰からも批判されることのない場であるプレイバックシアターは必要であると思う。

 

■「傾聴」の重要性 誰かの話を「聴く」ことは、一見簡単なことのように思えても、一筋縄ではいかないものだ。「傾聴」するということは、相手の言葉や、その中に含まれている問題のみに注目して、それだけを取り扱うことではない。それらも含めて相手の表情・姿勢・態度などによる非言語的な表現からも、話し手の「心の声」に耳を傾けようとする姿勢のことを指すという。日常会話の中では自然と他者が発する言葉や問題だけに気がとられて、その人自身を顧みないということをしてしまいがちである。また時には、他者が何を言おうとしているのかということに耳を傾けないで、自分自身の関心や興味のある一部分だけを聞いて、わかったようなふりをしてしまう。もしくは、聞く人が話す人の問題を解決しなければという気持ちで話しを聞いてしまう。このような問題解決的スタンスで話しを聞くと、その問題の回答を出そうとして理論的説明や事実の証明を相手に要求してしまいがちになるそうだ。これも、相手を真に理解しようとして「聴く」態度とはまるで違うと思う。「この人の内面には、今何が起こっているか?」という深い心の動きまでも感じ取りながら、「聴く」ことが大切なのだと思う。 このように他者と相互に理解しあおうと努力していくことは、互いに人間的な成長をしていくための基盤となるという。この人間理解の基本となる「傾聴」は、プレイバックシアターを提供していく側とって必要不可欠なことであると思う。真摯な「傾聴」の姿勢は、必ずや「ストーリーを真に理解する」ことにつながっていくと信じている。

 

■相互理解のための「準拠枠」 例えば、「悲しい」という感情を表現する言葉を聴いたとする。突き詰めて考えてみると、自分が感じる悲しみと他者が語る「悲しい」という言葉が指す感じ方の度合いというのは、明らかに違うことに気づく。これは、自分の体験と言葉との結びつけ方は個々人によって異なっているからだ。人はそれぞれ自分の内的準拠枠を基に適当な言葉を選び、伝達しているという。人間は言葉を使ってさまざまな考え方や複雑な感情を表現することができるが、互いに理解しあうためには、その拠りどころとなるものが必要であるという。その拠りどころとなるものが「準拠枠:frame of reference」であると言われている。 「準拠枠:frame of reference」を理解するために、以下のような具体例が紹介されている。「言葉のわからない赤ちゃんはおむつの汚れなどで不快であったり、おなかがすいた時など、すべて「泣く」という信号で表現する。これは、O歳児が表現の拠りどころとなるものをそれほど多く持っていないからである。「空腹」や「不快な感じ」などのさまざまな感覚を表現できるようになるまでには、たくさんのことを体験し、その体験に匹敵するような言語を学び、体験と言葉を結び付けながら表現方法を身につけていく。それによって、単に「おなかが痛い」と言う表現だけではなく、「シクシク痛む」とか「キリキリ痛む」などどんな風に痛いのかを、さらに細かく発信できるようになる。言い換えると、体験を区別し、照らし合わせる照合枠のようなものが私たちの内面には積み重ねられ、それが言葉になり、表現となっているのである。 私たちが日常生活の中で、互いに自分を表現したり相手を理解したりすることができるのは、体験を表す言葉があり、その言葉で表現可能な体験があるからこそであるという。そして、その体験を照合する枠組みがある程度共有されることによってのみ、コミュニケーションや相互理解が成り立つと考えられている。

 

■「ストーリー」を深く理解するために 「準拠枠」は人間の相互理解に大切なカギとしての役割を果たすかわりに、誤解のもとにもなりやすいと思う。プレイバックシアターを提供する側としては、テラーが本当に表現したい中身を、その人自身がどう認識し、どう受け止め、どう表現しているのかということまで、理解しようする謙虚な姿勢が大切だと思う。それを怠ってしまうと、テラーが真に語ろうとしていることを本当の意味で理解したことにはならないからだ。テラーが発する言葉だけをそのまま鵜呑みにしたり、独自のフィルターを通して間違った思い込みを加味してしまったり、安易にレッテルを貼ったりすると、誤解がますます深まってしまう。テラーを真に理解するためには、その人の「準拠枠」と自分の「準拠枠」との一致、不一致までを確かめ、共通のものにたどりつこうとする努力が不可欠であるであると思う。コンダクターであろうと、アクターであろうとそのプロセスがない限り、ピントはずれになりかねない気がする。短時間の中でそういった作業を求められるため、基本的な「傾聴」の姿勢を意識するだけではなく、テラーの体験が意味することを直感的に感じるためのアンテナを常に磨き、高く保持しておくことも大切であると思う。

【第三章】「アクティング」と人間的成長との関係 語られる

 

「ストーリー」には、日常的な出来事から「超越的な体験」に至るまで、まさに千差万別である。一般的な演劇の役者とプレイバックシアターのアクターの間には、求められるスキルに決定的な違いがある。それは、ステージ上では「自分自身を保つ」こと、つまりニュートラルな状態で立つということを学んだ。アクターが人間的な成長することを求められる大きな理由のひとつであると思う。

 

■ニュートラルでいるということ 一般的な演劇の中では、幕が開いて幕が降りるまで、与えられた役柄(自分とは異なった人物)であり続ける。一方で、プレイバックシアターのステージ上では、一人のアクターである「その人自身」で幕が開き、ストーリーが始まると、テラーから与えられた役柄(自分とは違う人格)になりきり、演じ終わった後は「その人自身」に戻るという。もちろん、即興で演じる時は自分のフィルターや癖を取り払い、ニュートラルな状態で役に入ることが望ましい。ただ、どんな人でもその人なりの問題を抱えているため、自分が聴きたいようにテラーの話しを聴いてしまったり、自分の過去の体験に影響されてテラーの話しを理解してしまうという事例が数多くあるのもうなずける。常にニュートラルな状態でテラーが語ったそのままを深く聴き、忠実にそれを再現することは、大変難しい作業であるという。相手の話しを深く聴く受容性や共感性をベースに、どんな役でも即興で演じられるように心の準備を日ごろからしておくことが大切であると思う。

 

■アクター自身の問題を整理する テラーが語る「ストーリー」の意味を正しく把握するためには、アクター自身が自らの問題に気づき、自分はどんなテーマにとらわれているのか、内面に何を抑圧しているのか、対峙するのを避けている問題は何なのかなどについて、自分の内面について深く知ることも必要なことであるという。熟練したステージを展開していくためには、情緒面と表現力の両面で優れた柔軟性が要求されると言われている。自分のことをよく分かっているアクターは、どのような役がふられようとも演じるすべを見出せるという。ニュートラルな状態で「ストーリー」を聴き、その「ストーリー」に必要な感情を呼び起こしながら与えられた役柄に深く入り込み、劇の終結とともに役柄を落とす(デロールする)ことを実践の中で学んだ。そして、その一連のプロセスが自分の中でスムーズに且つ、絶妙のタイミングで切り替えができるように日々稽古に励んでいる。プレイバックシアターのアクターにとって、情緒面での十分な成熟と自分を知るということは重要なことだと思う。

 

■アクターとしての「成長」から得られるもの プレイバックシアターのアクターを選ぶ基準や条件として、前IPTNの会長であってニュージーランドのベブ・ホスキンは、「表現力」「即興性」「協調性」「演じる役の多様性」を挙げているという。 また、一般社会の中で数多くの立場や役割を経験している人は、さまざまな世界を知っていたり、各方面に精通している場合が多い。そのような人は、テラーが語る体験をより共感し、受容できる背景を持ったアクターになりうるという。それは、テラーが語る内容が人生のありとあらゆる役割や出来事にまつわるものであるためだ。プレイバックシアターのアクターに期待されることは、まず、振られた内容を即興で演じられるということ、どんな役が振り当てられても偏りなく演じられること、自分が目立ちたいというエゴを捨てて他のアクターを支援できること、そして自分自身の強みも弱みもよく理解できていることであるという。実際にアクターとしてステージに立った時には、どんな役柄であろうとも固定観念や自意識を捨ててその役になりきる必要があるのだ。 テラーはまれにアクターの事情をまったく知らないのに、実生活で登場人物と同じような境遇のアクターを選んだり、同じような体験をしたことがあるアクターを、直感で選んでしまうことがあるそうだ。また、与えられた役とアクター自身の実際の人生の間に、共通の辛い体験が存在する場合もあるという。こういった「偶然の一致」は、アクター自身の痛みをともなうことも。どんなに厳しい状況下でも、最後まで役柄を全うできるアクターであろうと努力することは、アクター自身の成長にもつながっていくと思う。そのためにも、舞台経験を数多く積み重ね、さまざまな分野のトレーニングを継続的に行うことが重要になってくる。自分を危険にさらすことなくどんな役にでも挑戦できる「強さ」を身につけていけることを知識として学び、そして実際に場数を踏んでいく中でも体感している。委ねられた「ストーリー」に敬意を払い、ベストを尽くして演じること、そして多くの「ストーリー」を聴き、自分の「ストーリー」を語り続けていると自然と自己認識や寛容さ、そして大きな意味で「人」を愛する広い心が育まれてくのではないかと感じている。

【第四章】対話と信頼

 

「プレイバックシアターは、答えを求めない代わりに深い対話の手段になる」とジョナサン・フォックスは述べている。「対話」とは一般的に、自己を開いて、真実の自分自身を相互に伝え合うプロセスのことであると定義されている。「私は今、本当の気持ちが聴いてもらえたし、あなたの真実の声を聴かせてもらえた」という確信が相互に話しをしながら沸き起こってくる時、対話が進んでいることを意味するという。このような対話があって初めて、相互に分かり合うことができ、相互の結びつきが深められると思う。人間は「対話」によって成長していく。と同時に、対話によって相互の「信頼」が生まれるという。一般社会の中では、その人が持つ肩書きや権威に対する信頼でお付き合いをするということが往々にしてあるが、ここで取り上げる「信頼」は、その人自身に対する「信頼」であって、前者とは区別して考えたい。

 

■心の対話を観客の一員として体感する プレイバックシアターを介して、同じ時間と空間を共有すると、始まる前は全く見ず知らずの人同士だったにもかかわらず、パフォーマンスやワークショップが終わる頃には不思議と身近な人であるかのように感じられる。これは、その場に集った人々同士の心の「対話」が促進されるからだと思う。そして「自分もこの場を支えている一人である」という意識が共有され始めると、場の「一体感」が自然と沸き起こるという。これは、勇気を持って自分の「ストーリー」を語るテラーを支えるという意味も込めて、心と心のつながりが生まれるのである。さらにアクターがベストを尽くして演じる感動的なステージを観た観客たちは心が動かされ、その場にいる人全員の一体感と結びつきが強まる。たとえ短い時間であっても、全体を通して流れていた深いテーマに触れ、その感動を分かち合った仲間に対して抱く親近感と「信頼」を実感できるというのは、とても有意義なことであると思う。 「自分は一人ではない」という感覚は、自分の人生に対して喜びや生きる意味を見出すことにもつながるそうだ。勇気と希望を持って、生き生きと生きていけたらすばらしいことだと思う。プレイバックシアターを経験する人々は、その受容的で寛大な環境に身を置くだけで、成長するために必要なさまざまな「気づき」がもたらされると信じている。

【第五章】人間的な成熟をめざして

 

ジョナサン・フォックスは、プレイバックシアターのアクターを選ぶ基準や条件のひとつとして、「人間としての成熟度」を挙げている。では、「成熟」の先にある理想の人間像とは具体的にどんなことを指すのか? もちろん、同じ出来事を体験しても、人によって見るもの・聞くもの・感じることに違いがあるのは周知の事実である。また、物事のとらえ方や考え方、大切にしている価値観や目指している目標にも違いがあるのは当然のことである。このように「人は一人ひとり違う」ということを踏まえた上で、「成熟」のゴールとなる指針について調べてみた。「成熟」へのプロセスの中で、プレイバックシアターが持つ可能性について考えてみたいと思う。

 

■『成熟ししたパーソナリティ』の定義 アメリカの人格心理学者であり、社会心理学者であるオールポート(G.W.Allport)は、次のような『成熟したパーソナリティの定義』を提唱している。 ①自己意識の拡大 人は成熟していくにつれて、外部への活動や思想へと興味を広げていく。自分の周りにある経済的、教育的、レクリェーション的、政治的、家庭的、宗教的などのいろいろな事柄に、自分がどのように関与しているのかということに対し、関心を持つ。人間の努力を要するいくつかの、自己にとって重要な領域へ自分が参加し、その意味を理解する。 ②他者との温かい関係 直接、あるいは非直接的な接触において、自分を他者に暖かく関係づけることができる。十分に発達した自己同一性の感覚をもち、他人と親密になり、愛する人と心からの関係を持ち、その人の幸福を願う。暖かく共感できる。他者対して寛容な心で接することができる。 ③情緒的安定(自己変容) あるがままの自分を受け容れて、バランスのとれた情緒を持っており、自分の情動をコントロールして、より生産的な方向へと向きを変える。欲求不満に対する耐性があり、衝動的な行為をせず、他人の福利を妨げない。自分の生涯の中に連続的な安定感を持っている。生への恐怖や自我への脅威についてバランス感覚をもって、コントロールできる。他人の確信や感情を考慮に入れながら、自分の確信や感情を表す。 ④現実感覚、現実能力および現実的課題 外的な現実に従って喜んで知覚し、思考し、行為する。現実をあるがままに受け容れる。自分の要求や空想に合わせようとして、現実を歪めることをしない。知覚がほぼ真実であり、認知作用が正確で、現実的である。真実へと導く「構え」を持っている。 ⑤自己客観視、洞察とユーモア 自己客観視、自己に対する洞察ができる。他人の意見に耳を傾ける。知性的である。ユーモア感覚を備えている。 ⑥人生を統一する人生哲学 統一を与える人生観と調和して生活する。しっかりとした目的意識と使命感、価値観を持っている。 成熟した人は、未成熟な人よりも、方向決定や指向性が明確であり、内よりも外の世界へ向かって焦点を合わせて生きているという。このような「自己意識が拡大していく」プロセスの中で、その「潤滑油」としての役割を果たしてくれるのが、プレイバックシアターだと思う。それは、個人の主観の世界を客観視できるツールにもなりうるからである。内なる世界と外界とを無理なく自然な形でつなぐことができるプラグのようなものだと感じている。折にふれて、自分を深く知る努力は続けていきたいと思う。 また、プレイバックシアターは、「優しさ」と「愛」に満ちた空間で、その場に集う人々のそれぞれの人生のひとコマを「ストーリー」として扱い、それを大切に分かち合うことを通じて、コミュニティの中で生きている一人ひとりを認め合う価値観を共有するという。「ストーリー」を語り、分かち合う中で生まれてくる「人を大切にする気持ち」こそ、個々人が「成長」するために必要不可欠なエッセンスに違いないと思う。それぞれのコミュニティに集う人たちが互いに「成熟した人格」の形成をめざして、プレイバックシアターを有効活用していくことが大切になると思う。

 

【さいごに】

ロジャーズは、「自己実現は到達点や完了した状態ではなく、プロセスである」と言っている。自分で定めた目標に向かって、継続して努力しつつ、その瞬間ごとにベストを尽くして生きていくことこそ意義深いことだと思う。 「人間的に成長する」とは、言うはやすく、行うに難い難問だと思う。だからこそ、常に高い意識を持って自分自身を磨き、一生をかけて努力し続けていかなければならない大きな課題なのである。プレイバックシアターを良きパートナーとして。

 

【引用文献】

1.ジョー・サラ 『プレイバックシアター~癒しの劇場』

2.宗像佳代 『プレイバックシアター入門』

3.平木典子 『カウンセリングの話』

4.中西信夫 他『カウンセリングのすすめ方』

5.ダニエル・コールマン 訳土屋京子『EQ 心の知能指数』

6.小林司 『「生きがい」とは何か 自己実現へのみち』

7.小林純一 『創造的に生きる』

8.羽地朝和 『プレイバック・シアター -語るなかで育まれるもの』

9.國分康孝 『カウンセリング辞典』